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空気もきれいで静かな他は、緑豊かなことくらいしか取り柄のない山裾の寒村へ。珍しくも旅のお方が連れだってやって来たのは、雨の多かった春が終わりかけてた、今から逆上っての数カ月ほど前の頃合いのこと。田植えの終わった青々とした田圃を背景に、小さな少女が毬をついて遊んでいると、
「そこの小さなお嬢ちゃん、ミサオさんといわれるお嬢さんをご存知ないですか?」
声をかけて来たお方がいて。アケボノの村には今のところ“ミサオ”という娘は自分しかいないよと、そこは正直に応じたところ、
「そうでしたか、あなたが。」
他所から来たという四人連れの旅の方々。村の長老にここいらの州廻りのお役人様からの手形とご紹介の書状を見せていたから、素性のしっかとした方々だそうではあるが。それでも…大人に何か問われる覚えはないぞと警戒してか、小首を傾げた幼い娘御へ。最初にお声をかけて来た、たいそう愛想のいいお顔をした一番小柄な男の人は。子供が相手だとは思えないほどの丁寧な言葉遣いのまま、
「実は雷電の弦造さんに逢わせていただきたいのです。」
小声でとはいえ、いきなりそんなことを言い出したので、
「…っ。」
手鞠を抱えていたミサオ坊の小さな肩が、きゅうと縮こまったのは言うまでもない。先日のあの、資材基地への泥棒騒ぎが起きるまでは、自分でもあんまり意識していなかったことだったけれど。機巧の躯をした存在はただそれだけで、何にも悪いことをしていなくともお侍様やお役人から斬られてしまうかもしれないのだと知ってしまったから。そうである以上、大好きなじっちゃまのことは、滅多なことでは口外してはいけないのだと肝に命じていたミサオであったらしくって。
「オラ、何のことだか判んね。」
逃げ腰になっての懸命にかぶりを振る幼子へ、わざわざ屈み込んで話しかけていたそのお人は、う〜んとちょびっと考え込んで見せてから、
「こういう遊びを御存知ですか?」
急に話を変え、革だろう大きな手套をとった両手を、掌を上へと向けて差し伸べて来る。さあと誘うように揺らしたのへ、ミサオがおずおず、手鞠を足元へ降ろしてから、自分の両の手を乗っけると、
「せっせっせ〜の、よいよいよい♪」
にこにこと笑いながら、伸びやかなお声で歌い始めた彼であり。つないだ手、ひょいひょいと揺すぶったり交差させたり、離した手と手を打ち合わせたりという、良くある手遊びを始めつつ、
――― 神無のお米はよいお米、軒のネズミも肥え太る
十尋の滝 生む せせらぎの、
水の清きは空の青、写しとったる誉れなり…
そんなお歌を歌い始めたその途端、
「………あっ。」
それまではどこか怖々と身構えていた少女のお顔が、いきなりパッと明るんだ。
「この歌、知ってるっ。」
「そうですか?」
手を止めて、軽く小首を傾げたお兄さんへ、ミサオの方から何度も頷いて言い足したのが、
「久蔵様に教わっただ。」
勘兵衛様とじっちゃまが、何だか難しいお話をしていた間。神無のお米のお歌とか“虎じゃ虎じゃ”とか教えてくれて、すっごい面白かったのと満面の笑みを見せ、
「けんど、ミサオが聞いたのはもうちょっと陰気な調子のお歌だった。」
ホントはこんな楽しい調子のお歌だったんだねという付け足しへは、
「〜〜〜。」
お手々をつないでたお兄さんがたまらず吹き出してしまったのだけれど。そんなやりとりを聞いていた、こちらは銀の髪をした大柄なお連れのおじさんが、
「…久蔵殿が?」
何だか怪訝そうなお顔になってしまって。けれど、彼の発した訝(いぶか)しげなお声を聞いても、穏やかそうな笑顔のまんまなお人の方は。ゴーグルの嵌まったお帽子の下、みかん色の髪の載った頭をかしかしと掻きながら、
「意外でしょうが、でも。コマチ殿と遊んでいるところを、良く見ましたよ?」
だからこそ合言葉代わりにやって見せたのですしと、頬に浮かべた笑みをなお濃ゆく重ねてから。再びミサオの方へと向き直り、
「私たちは、その久蔵殿や島田勘兵衛殿からお話を伺って参った者です。」
悪いようには致しませんから、どうか弦造殿に逢わせて下さいませんかと。重ねてのお願いをされて、今度はミサオもうんと頷き。こっちだよと案内したのが例の、村からちっとばかり離れた断崖の岩屋。やはり依然としてそこへと蹲っていた、山のように大きな躯の雷電殿へ、旅のお方を引き合わせ、
「勘兵衛様と久蔵様のお知り合いなんだって。」
そうと付け足すと、それまで岩のように身動きひとつしなかった巨体が かすかに身じろいで見せ。
【 さようか、あの方々の…。】
機械で処理されたそれにしては、なかなかに人懐っこいお声を発した弦造殿へ、
「私は林田平八と申します。こちらは片山五郎兵衛殿、それから医師の弘庵殿にその助手の方。」
順々に連れを紹介をしたそのまま、
「いきなりの不躾けで申し訳ないのですが。」
平八という御仁が言い出したのが、体を見せてはくれまいかという申し出で。
「私は元・工兵でしたので、
あなたがたの身体については一通りの知識もございます。」
勘兵衛殿からあなたのお話を聞き、永の歳月、不自由なされしその元凶、私にだったらもしやして、見極めることが出来るかもと、そうと思いましての訪のいです。そうと言い出す彼の傍ら、お連れの皆様も案ずるような面差しのまま、何度も頷いて下さったので、
【 …もはや手の打ちようもないのであろうが。】
鋼の構造物の耐久年数くらいは知っており、ましてやメンテナンスも施せぬままに過ぎたるは幾星層か。あまりの歳月が経っていることから、もはや期待はしてはいない。だがまあ、せっかくのご厚意だしと、好きになされよと手を差し伸べ、載りたいところへまでと上げてやろうと構えれば、まずはとその手のあちこちを丁寧に丹念にさすってみせて、
「何か感じますか?」
訊いてくる。触覚用の圧力センサーは働いているようですねと、早速の診察が始まって。四人掛かりの半日掛かり、あちこちを丹念に調べ尽くしたその結果、
「これは…破損部位だけを交換すればという程度ではありませんね。」
終戦から数えた最短の、十数年どころじゃあない歳月が経っていての悪化と劣化は凄まじく、
「被弾した周辺、隔壁越しの深部へまで酸化侵食が進んでいて、こうなると下肢への駆動系統の伝達部を全て取り替えでもしないと。」
大元の故障をした部分だけではなく、そこから広がった損傷と錆とが、取り返しがつかぬほどの深刻なものになっており。生体基盤への接続をいじるほどもの大事になってしまうため、この身のままにての単純な再起は やはり無理だとのこと。但し、
「動力系統のラインも破損を受けていたのですが、そちらへは完全寸断が働いていて。上肢だけを生かし続けた幸いにつながっていたようですね。」
彼が語ったは指令伝達系統とは異なるラインの報告で。破損した部位で素早く“シャットダウン”対処が取られていたがため、生体存続用のエネルギーは、動く部分、機能する箇所へだけ供給されていたのだそうで。もしも均等に全身へと回されていたのなら、聞く見るといった感応部も十分に機能せず、精度が落ちてしまっての、満足には働かなかったに違いないとのこと。
「身動きや感覚の精度がそんなレベルまで落ちた身で、何もせぬままのただじっとしておられたのならば。他の箇所までもがじわじわと錆び付いてしまい、反応もますます鈍っての今頃は、一寸たりとも動けなくなってもおりましたでしょうに。」
そうと言って彼が見やった先では。成り行きが心配か、祈るように両手の指を組んでこちらを見上げている小さな少女が立っている。年端も行かぬ幼子ながら、そんな彼女と他愛ないお喋りや気遣いを交わし合ったこともまた、人としての感覚を常に機能させることへと大きに貢献していたに違いなく。そんな物理的な功罪以上に、その存在がこちらの孤独な元・戦士殿にとってどれほど有り難いものだったかは一目瞭然ですよと、しみじみと想いが及んでいたらしき平八殿。
「そこで。」
残念ながらと殊勝なお顔になっての、しょんぼりと下げていた眉を。今度は一気ににこりと押し上げ、小さな工兵殿が改めて言い出したのが、
「かつて武勲を数多くお上げのこのお体には、
深い思い入れも懐かしき思い出も沢山々々ございましょうが。
これからというものを考えての…いっそのこと、
新しい身体へと乗り換えてしまわれるおつもりはございませんでしょうか?」
【…そこもと、もしかして新しい軍組織か何かの勧誘員か?】
音がしそうなほどという力強さでのこうまでも、にっこり笑って勧誘なさるものだったのでしょうか? 軍関係ってのは。
◇ ◇ ◇
彼らが連れて来ていた“医師の助手”というのが、実は…彼らの持ち得る最新鋭の技術を結集させたという、新式の機巧擬体であり。弘庵殿が肩や背中を撫でての操作をすると、ふっと眸を閉じ、その場へ座り込んでしまって動かない。ここまでは、仮の意識というものを組み上げた“プログラム”で自律稼働していた彼だったそうで、
『これ以上の小型化は残念ながらまだ無理なのですが。』
恐縮そうに語った彼だったが、なんのなんの。2メートルを切る大きさの体躯というのは、どんな規格外の身であれ、まずは無理と言われている現状からすれば、とんでもなく進んだ代物に相違なく。ただの器だけなら、そして単なる義肢装具としての四肢だけでいいならば何とか都合も出来ようが。意志を動作へ反映させる、伝達系のあれやこれやも備えての、総身が鋼という“擬体”となると。耐久性と性能とを保ったままで縮小するのがとにかく難儀。生身の体でならあっと言う間の反射が、機巧の身だと…刺激情報を電気反射に置き換えの、頭脳へ送りの、それへの判断を関係各所へ送り出しのと、いちいち変換と執行を多数多層に重ねて重ねて行わねばならず。変換のための複雑膨大な計算を補う“脳”と、その伝達系である“神経”の代替物をいかに機能を下げずに縮小するのかが、この分野では永遠の大難関であるのだそうな。だというのに、
『…凄いです。』
村からを導いて来たミサオもずっと、無口だなぁと思っていた以外には何の違和感もなくいたそのお人。作業のお手伝いをしていたその間も、動く端から機械の音が重々しく響くでなし、所作一切もぎこちなくはなくの 見事なくらいになめらかなものだったし。そこまでなら、甲足軽(ミミズク)辺りに再現出来てもいることだったが、
『だって…微笑ってましたのに。』
妙な眼鏡をかけていなさったそのお顔。無駄口は一切利かなかったけれど、それでも眼鏡の奥の目と視線が合うと、口許に“にこり”と柔らかな笑みが浮かぶのが、あまりに自然な反応だったりしたものだから。このお人がまさか、全身“鋼”の擬体だと、一体誰が思おうか。
『表情反射を生かす技術こそ、私が頑張ったところです。』
このお仕事を依頼され、頑張って練ったスペックの中。これをこそ貫くぞとした信条は、この時代に武装は要らないということ。軍用の仕様から耐久性と動作への学習能力だけを浚ったその上で、膂力の発揮より、人との接点に一番に必要となろう、感情の鏡たる“表情”や無意識の所作をどう再現させるかに心血そそぎましたと。えっへんと誇らしげに言った平八殿だったが、
『ただ…目許だけは微妙が過ぎまして。』
どうしても間に合わなかったと。これが完成するには何年もかかるでしょうと頭を掻いて見せた正直者で。何とも剽軽なお言いようへ、一同がついつい吹き出したほど。しかもそこへ、
『でも。じっちゃまでは、大きすぎて入り切らないのではありませんか?』
『いやいやいやいや。』
そうじゃなくってねと。大人たちが一斉に困ってしまったほど、今少し理屈が分かってなかったらしいミサオ殿の、そんな他愛のない無邪気さに絆されたか、
『お任せ致しましょうぞ。』
未練がないと言や嘘になる。かつて、生身の体を捨ててのこの身へと転じた時は、先々への夢も意欲もあっての、そりゃあ積極的な想いあふれての決意だった。だって、そのくらいの思い切りがなければ出来ぬこと。自分のこの“意志”が機械の躯へなんて完全に移植出来るものだろかと、誰もが一度は不安を覚えたものだったし。もしやして単なるプログラムにすり替えられてしまうのではとか、自分が自分である証しはどうやって立てればいいのだろうかとか。理屈が分からぬことなだけに尚のこと、不安は尽きないままであり。激しい戦闘の最中には忘れていられても、閑と静かな狭間の時間に身を浸すたび、暑い寒いへも鈍くなったるこの身は果たして、先々でどういう生き方を強いられるのだろかと。いつしか鋼の肢体へ飲み込まれての、単なる武器や兵器になってしまうのではなかろうかと、様々に思っていたその末が、
【その折のどの予想図にもなかった…あの有り様だったというのもまた、
もしやすると、
こんな奇縁を招いて下さったのに、どうで必要なことだったのだと思えての。】
生体部位の移植は、冗談抜きに難しいこと。人として最も崇高な尊厳にも値する、命に等しきアイデンティティー、自我意識というものを委ねることゆえ、なればこそ大枚懸けて名医に託すしかなく。戦時中ならそれこそ軍が資金も出したし、腕の立つ医療班も最新鋭の設備も揃えていたが、前線部隊にいたような身分の者らが、終戦後にそんな手配を取れよう財を残しているはずがない。となれば、闇医者に一か八かで下駄を預けるか、そのまま巨体を持て余しての…大部分の者らが堕ちた凋落の一途とやらを、やはり辿るしかなかったろうに。あのようなややこしいところに挟まってしまったそのお陰、何十年もという不遇と引き換えに自分はこういう命運を辿れたと、
【 いやはや、長生きはするものだ。】
しみじみ痛感してのこと、ふふふと口許をほころばせ、笑って見せた弦造殿。その笑顔もまた、何とも自然な表情であり、
「はや〜〜〜。なんてお綺麗な殿方揃いだこと。////////」
「んだな。男らしゅうて精悍で。」
「賞金稼ぎたらいうお務めは、命懸けてるお仕事て聞いただ。」
「いっつも緊張しとらんといかんからの。」
「そか、やからして男ぶりの冴えたお人揃いになっちまうんだなや。」
「んだんだ〜〜〜。////////」
こんな小さな村には歴史的なほど、とんでもない規模の大捕物があったばかり。村のあちこちに捕り方の男衆がきびきびと駆け回り、生き残りの捕囚らを移送車に乗せおおせ、撤収の準備にお忙しく立ち回っておられる只中だってのに。もうそんな萌え談義が出来るところが、妙齢の女性たちの逞しいところなのかも。(苦笑) それはともかくとして、
「此処へと駆けつけられたは如何して?」
あんな絶対絶命の窮地にこんな思わぬ助っ人が飛び込んで来ようとは。凶弾の前に立ち塞がっての、助けていただけたのは本当に本当に有り難かったが。先に分かっていたならば、それこそ…あの刀匠殿にしても、生かしての捕縛も出来たかも。過ぎたことをば取り沙汰しても詮無いが、あまりに突拍子もない人の乱入でありタイミングでもあったので。相手方の甲足軽の焦りよう、実は笑えぬこちらでもあったほど。
【 間合いは、単なる偶然で間に合ったまでのことだがの。】
そう、間合いはと。そこだけはという言い方をした弦造殿だったが、
【 ………。】
集会所でもあるという長老宅の、土間から上がってすぐの板張りの囲炉裏端。広々とした居室に落ち着いて、もはや役目も終わっての、することののうなった者同士、何とはなくに顔を揃えての談笑なぞ交わしていた彼らであり。騒然としている最中のこと、すぐ傍らで聞き耳を立てている者もなく。それでも沈黙を見せた先達殿だったため、障りのある事情があってのことかしらと、勘兵衛が話の限(キリ)をつけようと仕掛かったすんでのところへ、
【 外の世界をの、ほんの少々見て回ろうと思って。】
ならばと、平八殿や五郎兵衛殿から賞金稼ぎに駆け回っておられるお主らの話を聞いての、と。ぽつりぽつりと呟くように、話を続ける弦造どのだが。表情は不思議と止まったままであり、
「…アケボノで、何か差し障りでも?」
【 いや。そういう訳でもなかったのだがの。】
ほんの微かに、やわくゆるんで綻んだ口許へと浮かんだは。意識しての表情であるのなら、相当に巧みな表現力の持ち主だと言わざるを得なかろう、何とも微妙な…切なげな苦笑。それほどに複雑な想いが彼の中にて葛藤しているらしく、
【 外から訪のうた人間が、いきなり此処に住みたくなったと言い出すのは性急すぎての不自然かも知れぬ。一旦離れて、再び訪のうて、やっぱり此処が忘れられぬでのと、そうと持って行った方が自然ではなかろうかと思った。】
一気にそうと まくし立て、だが、
「………本心ではない、な?」
こちらも仄かに伏し目がちとなった勘兵衛が、静かな声音で訊いたのへ、
【 …ああ。】
弦造殿が顎を引く。視線は逸らされていたものの、嘘や誤魔化しではないやりとりだというのは久蔵にも判った。勘兵衛が立ち入ったことを訊くというのも珍しかったが、自らの好奇心からというよりも、訊き手になって差し上げられるのが彼しかいないことだからとの。お役目のような気持ちの立て方、気構えのようなものが、その態度の落ち着きの中には感じられ。
“…ああ、そうか。”
言いたいことや、言いたくはないが察してほしいこと。言外に滲ませた何かしらまでも、読み取れ、拾える蓄積が勘兵衛にはある。弦造殿との関わりしかり、壮年となって得た…浅くも深くも様々に、複雑な綾をなすものである、人の機微や情への感受性の豊かさしかり。若くて青い未熟な身には到底分からぬ、矛盾や不条理も、酸いも甘いも様々に、肌身で“判って”くれる、懐ろの尋の深さがあるから。そこへと甘えることにして、語れるところまでは明かそうとしている弦造殿なのだろなと、そんな空気に気がついた。
“………。”
それはまるで…母親を相手に、拙い言葉やむずがり交じりの所作をよじよじと擦りつけて、温みで仕草で、ねえ判ってよと甘えかかるのに、格好や成りこそ違うが、それでもどこか似ているのかも。例えば自分が、不器用な身を持て余しつつも…この人なら判ってくれようからと、あの気立ての優しい槍使い殿へとさんざん甘えていたように。ただ、そうという比較を浮かべると、それへ重ならぬところも見えて来て。
“人の感情を読むなどと。”
日頃、どうにも鈍感な、気の利かぬ勘兵衛だのにな。ことが侍の侠気(おとこぎ)に関わることならば、吸い込むように理解し、じんわりとその意を伝えも出来るのだろうと思われて。その偏り具合が憎うもなりの、だが、
“…こやつらしいか。”
納得も出来るし、そうであることが誇らしくもある。そんな自分もちょっと奇矯なのかも知れぬと思ったが、それほどに…人という生き物がその身の裡(うち)に抱える、感情とか価値観とか感慨とかいう微妙なものは、多彩で曖昧で、複雑で多種多様だということ、何とはなく判って来つつあった久蔵でもあったから。
「…。」
そんな辺りを自己の中、折り合いつけたる双刀使いが、薄い唇きゅうと塞いで。黙ったままで眺めやる先。周囲の喧噪もさして収まらぬままなそんな中、
【 あのままあの村には居れぬと思うての。】
弦造が、やはり呟くようにでありながらも、口火を切った。
【 儂は長いこと、あのような格好で世情から寸断されておった身だ。】
泰然と、などという格好のいいものじゃあない。なるようになれと開き直っていただけなのだがの。正直なところなのだろう、淡々と語る彼であり、
「…。」
勘兵衛もただ黙って聞いている。
【 最初のどれほどかの歳月は、それこそ身の裡のあちこちに空虚なところがあって、それが時折押し寄せて来ては、居ても立ってもおれぬほど歯痒くて切なくての。】
こんなところに動けずにいてどうするかと、地団駄踏みたいほどの焦燥にも駆られた。だが、実際の話、動けぬのだから仕方がない。歳月が過ぎて、そんな状況にも慣れてしまい、身の裡の虚空が騒ぐのも頻繁なことではなくなって。ああこうして意識が錆びての、鋼へ飲まれてしまうのかと、あれほど不安だったことさえ、意識から逸らさずの見据えることが出来るようになった。
【 そこへと訪のうたのがミサオ坊であり、それから出会えたのがお主らで。】
そして。この身が呪わしき就縛から解放される日までがやって来て。すぐには自在に動くことも出来ぬ身、少なくはない手加減というものや勝手が、途轍もない巨体であった時の感覚なままなところを、様々な所作・動作を繰り返してみての修正し、
【 さあもう万全ですよと。
何でもお好きなことが出来ますし、どこへだって行ける…と。
平八殿からの太鼓判を貰ったときに、儂が一体何を思ったか、判るかの?】
枷が外された解放感よりも、何も持たぬ手や当てのない身の頼りなさに、総身が震えそうになってしまっての。
【 戦さしか知らぬのだと、それを痛感した。
そしてもう、戦など地上のどこにもありはしないのにと、愕然とした。】
探せば諍いは何処にでも転がっていようがの。それではなくて、儂がこの身を機械に変えまでした、心の底から何もかもを絞り上げまでしてかかったアレは、もう何処にもなくなっていて。強要されて関わった訳じゃあないが、では誰のためだったのか。自分のためか? さんざ手をかけて屠った命はどれも、果たして自分の敵だっただろうか。自分が立たねば殺されたり害されただろう、故国の人々のためか? 勝っても負けても、故国は散々に壊されの乱されのと、荒廃し切っているというではないか。関わらなかった土地をさりげなくも秘やかに守っていた、アキンドばかりが潤っているのが現状だ。
【 生きるよすがを奪われた。
いやさ、戦さの中でしか生きられない生き物になっていたことに、
今やっと気がついての。】
例えば、家族のため、泥の中に土下座をしての命乞いが出来る男を、そんな度量を尊いことよと思えるくせに、では自分はどうだろか。きっとこの手は武器を取り、周囲をも嵐に巻き込むような言動しか取れぬに違いない。自在に動けるようになったればこそ、そうなる恐れはずんと増したし、
【 そんな嵐へ巻き込みたくはない者だけは出来たのが、何とも歯痒くての。】
皮肉なことだが、誰とも縁を結ばぬが一番な身となったような気がしたと言い出すに至って。
「…。」
何ともまあ誰かさんに似たことを案ずる者が、此処にもまた現れたぞと。白々しくも視線を明後日の方へと向けてしまった、蓬髪白衣の誰かさんの横顔を、いやに艶なる伏せがちの流し目にて、ちろりんと見やった久蔵としては、
“俺だけじゃあない。”
ああまで人間が出来ていた七郎次までも、さんざん引っ張り回しての悩ませた、魔性の持ち主な誰かさん。半端な言い訳じゃあ済まされまいぞと、口でどうのと揶揄はしないが、気配での意思表示は満々と示している久蔵の威容は何とも厚く。
【 勘兵衛殿?】
というか、久蔵殿がこんなにも挑発的な無言をたたえていなさるのは どうされたのかと。ほのかに変わった風向きへ、人生の長さでは先達ながらもこの手の葛藤へは初心者の弦造殿が小首を傾げて。さてさて、壮年殿は何と助言なされたものか。
「…うむ。」
此処から先は…武士の情けで内緒内緒vv
〜どさくさ・どっとはらい〜 07.6.27.〜6.29.
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*おかしい。
何でこんな、ギャグっぽい結びになったんだろか。
所詮、人の生きざまとか何とかいう、深刻な話を展開させられぬ、
底の浅い人性な筆者だということでしょか。
*このお話の中の、神無村に集まったクチのお侍さんたちの内、
大戦に関わった組の五人さんは、
どなたも皆、戦後は似たり寄ったりな感慨の中で、
空を見上げちゃあ迷子になってたんじゃなかろうかと思う訳ですよ、自分。
あんな悪夢は終わってよかったに違いないけれど、
それぞれに大義や事情は違ったのでしょうけれど、
全身全霊叩き込んでの死に物狂いで、真剣本気で生きてた場所でもあったから。
自分の意志で関わってたことのはずが、
ふっと、どっかで勝手に“終わったよ”と告げられて。
どんな想いがしたのだろかと…。
だったらそれを書けばいんですが、力量が足りないです、自分。
めるふぉvv **

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